親の介護をするうえでの不安というのは、言葉で説明しきれません。また、体験したことの無い人には理解できないでしょう。親の介護といっても、私の場合は、母親がアルツハイマー型認知症、父親腎臓癌末期というダブル介護です。
不安に押しつぶされそうになりますが、自分ができること、今後のことなどをシミュレーションすることで、意外と心を落ち着かせて、冷静な判断ができるようになります。
母親がアルツハイマー型認知症と診断されたとき
10年ほど前、母親が意味不明な発言をすることが増えました。病院に連れていったところ、アルツハイマー型認知症と診断されました。その時は、母親自身も思考力が抵抗する予兆というものが判っていたとのこと。それは、母親自身が言ってました。たまに頭がボーっとしてきて、寝てるのか起きてるのか判らなくなると言ってました。
当時、母親は64歳でした。ですので、若年性アルツハイマーでした。
まだ、若いのにと言われることが多かったですし、デイサービスを利用しているときも、年齢は若い方でした。
介護認定2~3くらいは要注意
介護認定2~3というのは、まだまだ自分で動ける体力もありました。自転車に乗ることもできました。なので、この時期にもっとも注しなければならいのは、徘徊です。うちの母親もよく警察のお世話になりました。
ちょっと目を離したスキにどこかへ行ってしまうのです。それも、日常生活のなかでよく行っていた場所に本能的にでかけていたようです。なので、買い物でよく行っていた商業施設、喫茶店、コンビニ、知人宅などに向かい、途中で行き方が判らなくなってしまい迷子となるというパターンが多かったです。
このような場合、GPS搭載の携帯電話を持たせたりすることで、位置情報を把握することができます。警察からもGPSを持たせた方が良いという勧めもあり、GPS搭載の携帯電話を小さなバッグに入れて、首から掛けておくようにしておきました。
デイサービスはいつから利用するのか
デイサービスは要介護認定2からと軽度の人でも利用することができます。うちの場合は、軽度の頃からデイサービスを利用していした。介護認定2とか3だったので、自分で歩けるし、食事もできたし、トイレにも行くことができました。ですが、私が仕事があったので、日中はデイサービスにお世話になっていました。この時期のデイサービス利用料金は月額2万円くらいでした。まだまだ、金銭的な負担が軽かったです。だけど、徘徊することがあったり、モノを失くすことがあったりと、別の意味で大変でした。
症状が重くなるまでデイサービスを利用しないという人も居ますし、うちのように軽度の頃からデイサービスを利用する人も居ます。
主治医、ケアマネの人と相談しながら決めると良いです。
いつから特養、老人ホームに入居させるのか
いつから特養、老人ホームに入居させるのか?
それは、色々あります。
早い段階から特養に入居させる人も居ます。要介護認定2から入居できることが多いので、介護認定2とか介護認定3が取れれば、すぐに特養に入居させたという家族を知っています。簡単に特養に入居させると言っても、月額利用料金が10万円~15万円くらいしますので、簡単に入居させるというのはできないかもしれません。
うちの場合、特養や老人ホームへの入居を考えるようになったのは、まだ最近です。というのも、父親の意向もあり、できるかぎり在宅介護をしたいという考えがあったからです。私は、どちらかというと、お金が掛かっても良いので、早めに特養か有料老人ホームに入居させたかったのですが、父親が言うことを聞きませんでした。
簡単に在宅介護をするといっても、介護認定4、介護認定5などになると、自分で歩けなくなりますし、トイレも行けません、自分で食事を摂ることもできません。それを自宅で面倒をみるというのは、とても大変です。
もっとも大変なのは、自分で歩けないので、寝ている母親を起こして、車椅子に座らせるだけでも、重労働です。体重40キログラムくらいなので、身体にチカラが入ってないので、とても重いです。
介護するためのお金の不安
親の介護をするとなったときに、まっさきに頭に浮かんだのが、お金のことです。介護は労力も必要ですが、お金も必要です。要介護認定2~3くらいのときは、月額4万円くらいで済みますが、介護認定が進むにつれて、必要となるお金が多くなりますし、介護認定5ともなれば、最大36000円となります。それに併せて、オムツ代、昼食代などが嵩んできます。ただ、実際に介護をはじめてみると、意外と慣れてきます。はじめの頃は、経験したことのないことばかりで不安の方が勝ってしまいますが、意外となんとかなります。
私も初めの頃は、とてつもないお金が必要になるのではないだろうかと考えており、とえも不安でした。ですが、実際に介護をしてみると、介護保険という制度があるので、想像よりも金銭的な負担を感じませんでした。それも、父親と私が居て、お互いが協力をしていたからだろうと思います。