サイトを運営しているカズカズです。
年齢は47歳です。
10年程前に母親がアルツハイマー型痴呆症と診断され、父親と共に在宅介護をしてきました。気付ければ、あっという間に要介護認定5となりました。デイサービスを利用しながら、介護をしていたところ、父親が体調を崩しました。病院で検査をしたところ、腎臓癌であることが判明しました。細かな診断を受けて、抗がん剤治療をすることとなりました。
介護のことで悩みながら、不安を抱えながらも生きてきましたが、追い打ちをかけるかのように父親が癌となり、絵に描いたような絶望を感じています。だけど、気持ちをしっかりと持って前進していきます。
2019年に入ってから、父親が癌、母親が重度のアルツハイマー型認知症で誤嚥性肺炎で入退院を繰り返すという、両親2人を介護することとなりました。とても大変でしたが、2人共亡くなりました。
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親の介護と自分の人生
私が恵まれていた点
たまたま、私の仕事がウェブ系の仕事だったということもあり、在宅勤務が許されました。ほぼ会社に行かなくても良いという状態です。ミーティングなどが必要な場合は、出勤することもあります。ということから、給与が大きく変化することはありませんでしたが、交通費は無くなります。出勤してないのですから、交通費は不用ですから、当たり前のことです。
親の介護が必要とのことで、柔軟に対応してくれた会社には感謝してます。
また、会社の給与だけで生活が苦しいのであれば、別途副業などをしても良いという許可も貰っています。その場合、確定申告が必要となりますが、金銭的な苦悩からは解放されます。はっきりいって、介護というのは、お金が必要です。お金があった方がメンタル的にも救われることが多いです。なので、介護離職とは絶対にしない方が良いです。
家系
自分の家系を遡っていくと、実は神職家系だったりします。昔は神仏習合があり神と仏が融合した時代があります。故に山奥の実家の土地には、お寺と神社が建てられているという不思議な状態です。昔はとある山岳信仰に関わっていたらしく、各地域から参拝に来られる方々の世話をしていたらしいです。
ちなみに、私は跡継ぎしてませんので住職でもないし、神職をしているわけでもない。ただ、お寺の出ということで、仏教、神道のことなどを勉強させられた記憶がありますし、上山研修には出かけました。
陰陽道五行思想、九星など勉強したことがあります。
意外と役に立ちますね。
へんな宗教家とではありませんのご安心ください。
就職
経営の神様と呼ばれている松下幸之助さんという経営者が創立した企業に入社。当時は松下電工という社名でした。電子デバイス関連の設計に携わってました。当初はCADなんてものが無くてドラフターで手書きでしたね。今でも、トランジスタの エミッタ (emitter)、 ベース (base)、 コレクタ (collector) というのは頭の中にこびりついてますね。
ちょうど、バブルが終わるかどうかという時代でした。
CADの登場
しばらくすると、CADが出てくるのだけど、お客様にデータを送信するのがとても大変でした。フロッピーディスク5枚分とかね。MOに入れるとか。通信回線を利用してデータを送信するというのもありました。パソコン通信ってやつですね。お仕事が終る頃に送信セットして、翌朝出勤をすると送信が終っているという具合にけっこう送信時間を要した時代でした。でも、CADの登場によって、かなり仕事が捗った記憶があります。
インターネットとホームページ
社内では既に自社のウェブページを生成しており、更新などの作業を手伝ったりなんかしていた。CADデータをダウンロードできるようにして、各支店に配布したりするための旗艦となっていたのが、ウェブページだった。ここで、インターネットのことやHTML、XMLを憶えました。
当時はネットスケープのHTMLエディタちっくのようなものでHTMLを手書きで書いてました。そんなこんなでインターネットの基礎、HTMLの基礎、各種サーバー、デーモンなどの知識を蓄えて、自宅サーバーとか立ち上げたりなんかもして楽しんでた時期があった。BlackJumboDogとか、ANHTTPD とかを使ってサーバーを構築したりなんかしていた。LINUXのディストリビューションはPlamoを使っていましたね。軽快で好きでした。
当時は中国に工場を建てたりするという大きなプロジェクトを掲げており、中国出向になるかもしれないという噂から、仲間数人と会社を辞めました。
バブルは終わって、学歴よりも、即戦力が求められる時代になってました。
ウェブ関連の仕事
その後は、知り合いを介してウェブ制作会社に入社。楽しかったけど色々と大変でした。おもいっきりウェブ土方やってましたから、かなり根性が必要でした。センスとか感性とかじゃなくて勇気と根性が必須だったかもしれない。でも、長く在籍していたから横のつながりも増えたし、東京方面にも知り合いも増えて、色々な仲間が増えて仕事の幅も広がりました。
でも、人間は老いというものには勝てなくて、母親が認知症と診断されてからは実家に戻らなければいけなくなってしまいました。父親も定年退職をしているし。さすがに実家の片隅の部屋に居座るわけにもいかずに、実家近くの安いマンションを購入してそこをオフィス代わりにしてました。
勤めていたウェブ関連の企業を辞めました。
一応、役員として名前は残してあります。
親の介護
認知症になるとある程度の寿命が決められます。決められるというか、経年と共に歩行不可能となり、寝たきりになり、衰弱ということになるらしいです。お涙頂戴の話じゃないけど、これは事実であり現実です。現実から逃げることなく前向きに生きていきます。自分の親の面倒を見ずに放っておくなんてできませんから。
母親の介護をはじめて、約10年経過。
2019年6月に母親は亡くなりました。
その前に、2019年5月に父親が癌で亡くなりました。
今現在
今現在は、個人事業主として、アフィリエイト、ブログを書いたり、ウェブサイト制作したりして、食いつないでおります。人生ターニングポイント過ぎたので、自分が経験してきたことを伝えらて、人を育てられるようなことがしたいと考えてます。
地道にやっていれば、自分の能力を見出してくれる人はけっこういます。アメブロのトップブロガーに誘っていただいたり、某外資系企業にお声掛けを頂いたり、アフィリエイトASP A8.netでブラックランクが獲れたりと、地味に頑張っております。